箱根駅伝とは?

関東学連加盟大学のうち、前年大会でシード権を獲得した10校と、予選会を通過した9校に関東学連選抜を加えた合計20チームが出場。

東京・読売新聞東京本社前〜箱根・芦ノ湖間を往路5区間(108.0Km)、復路5区間(109.9Km)の合計10区間(217.9km)で競う、学生長距離界最大の駅伝競走である。

なお、2014年(平成26年)に行われる第90回大会では、記念大会として3校が増枠されるため、前年シード権を獲得した10校と、予選会を通過した13校の計23チームが出場する。
箱根駅伝背景
箱根駅伝創設とその時代
箱根駅伝が誕生したのは、84年前の1920年(大正9)で、創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との熱い思いだった。金栗は、東京高師時代に日本が初参加した1912年(明治45)のストックホルム五輪にマラソン代表として出場したが、途中棄権に終わり、失意のまま帰国した。
そうした中で、1917年(大正6)に日本で初の駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。東西対抗で、京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーは大成功を収め、これが箱根駅伝の“原型”となった。
    「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に参加を呼びかけ、早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が応じたというのが、創設のいきさつである。第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われたのは、こうした事情によるものだ。
      箱根駅伝の創設は、当時のスポーツ界のパイオニアたちの果てしなきエネルギーが結晶でもあった。当時は、多くの犠牲者を出した第1次世界大戦が終わったばかり。工場地帯が次第に西に延びて、大動脈の東海道も道幅が広がった。スポーツ界にも、こうした時代の空気を反映して次第に「やってやろうじゃないか」という挑戦心と気概が満ち溢れつつあった。
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