駅伝ひろば箱根駅伝を支える学生たちが書いてます

No.37

第87回箱根駅伝学連日記ー第3回ー 『みんなのマネージャーに』

野寺 巧寛

「野寺が学連に行ってくれてよかった」

 私は、2年生の夏に明治大学競走部のマネージャーから、関東学連幹事の一員となりました。競走部を飛び出した時のことは今でも覚えています。全力で練習に取り組み、大舞台で競走部を背負って勝負している選手たち、また、大舞台に立てなくとも0.01秒のタイムを縮めるために日々努力している選手たちを見て、自分も輝きたいと思ったのです。

 もちろん、競走部のマネージャーでは輝けないなんて思ったことはありません。大好きなチームをサポートして、選手を一番近くで応援できる、最高のポジションです。でも、だからこそ、もう1歩踏み込んだところでチームの役に立ちたいと思いました。

 連盟では、「報道」を担当しています。この仕事は、取材申請をまとめたり、大会当日、記者やカメラマンの方々がよりよい取材ができるような準備をしたりするというものです。箱根駅伝実行委員会の広報委員会議の準備をしたりもします。

 特に、箱根駅伝では、大会の規模が大きく、また、多くの報道関係者が取材に訪れるため、時には運営側と取材側の衝突もあり、その分、綿密に打ち合わせを行って準備を進めます。準備段階で、あちらを立てれば、こちらが立たず……といった場面も多々ありました。しかし、これを協議・勘案して、両立させられるようになった時は、鳥肌が立ちました。

 鳥肌が立つと言えば、前回の箱根駅伝では、戸塚中継所を担当しました。その時、我が明治大学は1区から4区まで首位でした。そして、1月2日往路の戸塚中継所で、2区・前エース石川主将から3区・現エース鎧坂への1位での襷渡しを、目前で、誰にも遮られることなく見ることができました。このときばかりは「役得」だったなあ、としみじみ思います。

 競走部にはとても感謝しています。今の自分があるのは、競走部の土台があってからこそと思っています。連盟の仕事が忙しく、1ヶ月に1度もグラウンドにいけない時もありますが、この気持ちを、最高の大会――箱根駅伝――を用意することで返せたらと思います!

 冒頭の言葉は、マネージャーの人手不足の中、快く私を関東学連に送り出してくれた先輩からもらったものです。これまでのように、毎日グラウンドへ行って、選手のサポートやチームの運営をすることはできませんが、関東学連での活動で得た大会運営の知識・仕様を競走部に持ち帰ることができました。そして、それは今年の春に東京六大学対抗陸上競技大会を幹事校として迎えた時に、ふんだんに活用することができました。また、私が関東学連に行ったことで、古豪と呼ばれる競走部に、新たな風を吹かせることができたかな、と思っています。私は、人手不足の折に競走部を飛び出したことを、ただただ、悔いていましたが、先輩からの言葉を聞いて踏ん切りがつきました。後はひたすら、関東学連幹事として、学生陸上全体に貢献するのみです。

 知らない人、見たこともないような人までサポートするというのは、大変です。でも、私たちがしている小さなことの積み重ねが、誰かの笑顔につながると思えばがんばれます。

 全力で最高の箱根駅伝を用意します!!