駅伝ひろば箱根駅伝を支える学生たちが書いてます

No.337

第32回「かける」

児玉 怜奈

 駅伝ひろばをご覧の皆さま、こんにちは!関東学生陸上競技連盟で常任幹事を務めております、青山学院大学文学部日本文学科4年の児玉怜奈です。私が、箱根駅伝を始めとした陸上競技の大会を自らの手で運営することを夢見て、学連幹事を志すことを決断した高校3年生の秋から4年以上の時が経ったことに、驚きを隠せません。学連幹事になりたいと思ったあの頃から今までずっと、「陸上競技が好き」という気持ちは変わらず、ここまで続けてくることができました。

 突然ですが、「箱根駅伝には、大学生活を懸けるだけの価値がある」と思います。実は、この言葉はとある選手によるものなのですが、大会を主催する私たちにも通ずる言葉であると思います。私たちは箱根駅伝の他にも複数の大会を主催しており、どの大会にもそれぞれ違った価値があるので、箱根駅伝に大学生活を懸けた、というと少し語弊があるかもしれません。「学連幹事としての活動には、大学生活を懸けるだけの価値がある」と言った方が、本当は私の真意が伝わるのですが、ここでは箱根駅伝にフォーカスを当てて、あえて「箱根駅伝には、大学生活を懸けるだけの価値がある」と表現したいと思います。

 箱根駅伝は大会の規模が大きいだけに、担当する業務の責任の重さに押しつぶされそうになることもありました。しかし、今思うと、いち大学生が、日本のお正月の風物詩とも言える大会を主催することができるということ自体が本当に貴重なことであり、大学生の間にこの経験ができることに価値があると思います。大変だったことも、悔しかったことも、嬉しかったことも、楽しかったことも、どの経験も私にとっては欠かせないもので、箱根駅伝の運営をしていなければ経験できなかったことばかりです。今後、二度と取り戻せない大学生活を、箱根駅伝の運営に懸けて全力で駆け抜けてきた日々は非常に価値があり、尊いものです。

 では、なぜ箱根駅伝はこんなにも魅力的で、価値のある大会なのでしょうか。この問いには、明確な正解はないと思います。ただ、100回大会を迎えるにあたって箱根駅伝の歴史を知る中で見つけた、私なりの答えがあります。その答えとは、「箱根駅伝を愛する人たち一人ひとりが架け橋となり、100回まで大きく形を変えることなく歴史を繋いできてくれたから」というものです。

 本連盟では、100回大会を記念して、記念事業委員会というものが発足されています。私はその中でも記念誌の編纂担当として記念事業に携わっています。企画の一環で座談会に立ちあったり、校正を行ったりする中で、箱根駅伝の歴史をより深く知ることができました。私がこれまで見ていた箱根駅伝は、ほんの一部にすぎなくて、知れば知るほどに奥深く、100回という歴史の厚みや重みをひしひしと感じています。箱根駅伝には数えきれないほどの人が携わってきて、ここまで続いてきたのだということも改めて実感しました。箱根駅伝を愛する人たちが架け橋となって箱根駅伝を継承してくれたからこそ、こうして100回大会を迎えることができました。これまで箱根駅伝を構成してきたものどれひとつが欠けても、箱根駅伝は100回まで続いてこなかったと思います。

 さて、大会当日は、平塚中継所を担当する予定です。私が大学生活を懸けてきた箱根駅伝に学連幹事として携われるのは、今回が最後となります。私自身も、箱根駅伝の歴史を繋ぐ架け橋の一部であるということを忘れずに、気を引き締めて運営してまいります。

 そして最後に、この駅伝ひろばを読んでくださっている箱根駅伝ファンの皆さまも、箱根駅伝の歴史を繋ぐ架け橋の一部だということをお伝えしたいと思います。箱根駅伝を愛してくださる皆さまがいるからこそ、箱根駅伝は100回まで続いてきました。大会当日は、箱根路を駆け抜ける選手たちへの温かい応援を、どうぞよろしくお願いいたします。