駅伝ひろば箱根駅伝を支える学生たちが書いてます

No.276

第11回「視野を広げて」

三浦 拓也

 駅伝ひろばをご覧の皆様、初めまして。関東学生陸上競技連盟で幹事を務めております、東海大学文学部文明学科1年三浦拓也と申します。

 私は本格的な陸上経験が1度もなく、小学校2年生から高校生3年生までの約10年間、野球をやっておりました。高校生活最後の大会ではあえなく初戦で敗退してしまいましたが、両親や多くの友人に応援された10年間は私にとってかけがえのない時間でした。そんな私が箱根駅伝と出会ったのは11年前、小学校1年生の時です。第87回箱根駅伝、早稲田大学が13度目の優勝を果たし、学生駅伝3冠を達成した年でした。この大会以来、気づいたら私は箱根駅伝の虜になっていました。駅伝について語る上で欠かせないのが「襷」の存在です。駅伝は一見、個人競技のように見えますが、母校の誇りや仲間たちの想いを襷に乗せて継走していく立派なチームスポーツです。1本の襷を10人でつないでいく光景や仲間のために襷を繋ごうと必死に走る姿、そして沿道から絶え間なく送られる声援などどれも新鮮なものばかりで衝撃を受けたことを昨日のことのように覚えています。箱根駅伝を知ったばかりの頃はただ漠然と「かっこいいなぁ、すごいなぁ」という思いで見ていましたが、次第に大学のこと選手のこと箱根駅伝の歴史についてなど多くのこと調べるようになるにつれ、いつか、箱根駅伝に携わってみたいと思うようになりました。そしてそれから確信に変わったのは2019年の箱根駅伝が終わった後でした。何気なく目にした記事に当時の幹事長のお話が載っていました。その記事を読み、初めて関東学連の存在を知りました。箱根駅伝に対して密に関わり、選手や観てくれているすべての方たちのために誠意をもって業務に取り組むこと。こんなにも私のやりたいことと合致することはないと感じ「大学生になったら絶対にこの場所で活動しよう」と心に決めました。その後、私は無事、大学に合格し、憧れであった学連幹事になれることが決まった時は何にも変えることができない喜びを感じました。

 現在、私は関東学連の先輩方や同期と離れて全国の地区学連を統括する日本学生陸上競技連合という場所で活動しております。ですが、日本学連は私が憧れていた箱根駅伝の主催団体でも共催団体でもありません。なぜ私が関東学連ではなく日本学連で活動しようと思ったのか、それは「広い視野を持ち、多くのことに恐れず挑戦してみたい」と思うようになったからです。私は学連幹事になった際、とにかく箱根駅伝に固執していました。ですが、学連幹事一員として数多くの大会運営に携わる中で、もっと陸上競技ついて色んな側面を見てみたいと感じるようになっていきました。日本学連では多くの全国大会を運営しています。代表的な主催大会には日本インカレや全日本大学駅伝などがありますが、どの大会も各地区学連の学生幹事の方たちと共に大会を作り上げていきます。大会ごとに地区学連の方たちとコミュニケーションを取りながら大会運営を実施し、陸上競技について理解を深めていくことは私の視野を広げ、より多くのことに挑戦してみたいと思わせてくれます。今後もこれを読んでくれている皆様には、ぜひ我々日本学連や関東学連がどのようにして大会運営を行っているのかという点についても興味を持っていただければ嬉しいです!

 日本に駅伝が誕生したのは1917年の事でした。「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」という名称で京都三条大橋と東京、上野不忍池間の約516キロを結んで行われた壮大な駅伝だったそうです。その3年後の1920年に箱根駅伝が始まることとなりました。その箱根駅伝も今大会で99回を数えます。駅伝は数多くのドラマを生み出し、たくさんの人に感動を届けてきました。近年では「Ekiden」として世界中の人々に知られるほどです。私自身、大会当日は戸塚中継所を担当する予定です。今や日本のお正月の風物詩として世界に誇る、箱根駅伝へ携われることに感謝し、全身全霊で運営を行ってまいります。箱根駅伝をご覧になられる皆様には選手個人への応援はもちろん、出場する21チームへの温かいご声援の程よろしくお願いいたします。拙い文章となってしまいましたがここまでお読みいただきありがとうございました。