駅伝ひろば箱根駅伝を支える学生たちが書いてます

No.245

第15回「モチベーション」

小川 果梨

 駅伝ひろばをご覧の皆さん、初めまして。

 関東学生陸上競技連盟で常任幹事を務めている帝京大学3年の小川果梨と申します。1年生の時は、学連日記の掲載担当だったにもかかわらず締め切りに遅れてしまい、昨年度は駅伝ひろばの掲載がなかったため3年目にして初掲載となりました。いよいよ皆さまに読んでもらえるかと思うと、書いている今もワクワクしています!!

 大学進学にあたり18年間暮らしていた福岡から上京してきて、家族と食べる温かいご飯を恋しく思う時もありますが、充実した毎日を送っております。

 地方出身の私にとって箱根駅伝は決して身近なものではありませんでした。周りに箱根駅伝を見ている友達もいませんでしたし、私が住んでいた福岡では予選会のテレビ中継がありませんでしたので、いつ行われているのかも知りませんでした。

 そんな私が箱根駅伝に魅了されたのは高校1年生の時です。毎年チラッとニュースで結果を知るぐらいで、特に興味をもって見たことはなかったのですが高校1年生の12日、3日はなんとなく箱根駅伝を見ていました。

 初めて見た箱根駅伝は、チームのため、家族のため、自分のため、様々な思いを背負って20km以上を走り、きついはずなのに最後は笑顔でたすきを繋ぐ選手の姿を見て鳥肌が立ったことを今でも覚えています。同時にこれほど素敵なスポーツが毎年行われていたのに、16年間見逃していた自分に腹が立ちました。

 そんな箱根駅伝に魅了され、箱根駅伝の関連雑誌を読み漁っている高校2年生の時に見つけたのが関東学生陸上競技連盟でした。

「箱根駅伝に関われる!」そうして、考えるよりも先に体が動いてしまう私は、上京してすぐ当時の幹事長へ連絡をとり、下調べも何もせず関東学連の門を叩たきました。

 そのため、恥ずかしながら箱根駅伝が学生主体で行われているということも知りませんでした、また関東インカレに至っては存在すら知りませんでした。そして最も学連幹事の活動がこれほど目まぐるしい日々になるとは正直思っていなかったです。

 学連幹事の活動は、各自大学の授業が終わった後、千駄ヶ谷にある事務所で行います。現在は、事務所にいる人数を制限するためテレワークを導入しておりますが、私が学連幹事になった当時は、テレワークはなかったため、平日は毎日授業終了後、千駄ヶ谷へ向かい、業務を行っていました。業務が終わり帰路に着くと帰る時間が遅くなり、1年生の時は独り暮らしにも慣れていなかったため、ご飯を食べ損ねたり、次の日寝坊してしまうことも多くありました。また、大会や審判講習会などで土日も競技場へ行く事が多かったため、1年生の時は、大学の友達と遊ぶこともなかなかできませんでした。

 普通の大学生のような生活を送りたい。そう思うこともありましたが、私の家に帰る途中には、帝京大学駅伝競走部の寮が見えます。夜、帰るのが遅くなり真っ暗になった寮を見てこの人達のために私たちは頑張っているんだ」と自分を励ますことで次の日も頑張ることができました。

 現在も上手くできない事が沢山ありますが、尊敬できる先輩や頼れる同期や後輩、学連幹事として活動するにあたって関わっていただいたすべての方々に支えられて、活動を続けることができています。

 特に辛い時や悩んだ時、いつも手を差し伸べてくれる同期の3人にはいつも支えられています。

 さて、学連幹事として臨む3回目の箱根駅伝まで、いよいよ残すところ約1か月となりました。やらされているからやっているのではなく、自分の意志で、やりたくて続けている学連幹事の活動を、気を引き締めて行っていきたいと思います。

 拙い文章ではございましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。